蒸し暑い駅のホームで電車を待っていたとき、隣のベンチからこんな会話が漏れ聞こえてきた。
「……不安には二種類ある。わかるかね? ひとつは……。もうひとつは先が不確定であるがゆえに起こる不安だ。君のケースはどちらにあてはまるかな?」と、老人の張りのある声。
「……」
「返事がないね?」詰問調になる老人。
「えっと……うーんと……」答える声は困惑気味だ。そして幼い。
横目でちらっと見てみると、幼稚園児ぐらいの男の子が老人と並んでちょこんと座っている。老人の孫だろうか。それにしては老人の話しかけ方が他人行儀だ。むしろ大学教授が学生に講義でもするような口調で懇々となにかを言い聞かせている。
だが、そこに座っているのは退屈した大学生ではなく困惑した幼稚園児である、という点に注目したいと思う。
たしかに今では幼児教育も進歩しているのだろうし名門小学校に入るために高度な受験勉強に励む幼稚園児もいるだろう。それにしてもそんな小さい子供に「不確定性」だの「不安には2種類ある」だのという抽象的理論を述べてはたして通じるものなのか。あまつさえ老人は、「君のケースでは」と自己分析さえ要求するのである。
いや、実はその幼稚園児は天才なのかもしれない。4、5歳にして「未来が不確定であるがゆえに」などという哲学的言辞に慣れしたしみ、caseどころかallantoicaseなんて高度な英語の語彙を操るのかもしれない。そうでなければ老人が、男の子が論理的な答を返してくるのが当然というような、あんな確信に満ちた表情で催促するはずがないではないか。
残念ながら、そこまで考えたとき電車が来てしまい、結局その子がどう答えたのかは聞けずじまいだった。
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