Promethean プレビューの第18回と19回で、Refinement とは何かが解説された。腐敗だの土星だのと一見脈絡のない言葉が登場するのは錬金術思想と深い関わりがあるようだ。もっとも ディベロッパー自身
このゲームは全体的に、雰囲気や用語や背後にある思想を錬金術風にしてあるんだ。プロメシアンは自分の体そのものを錬金術的過程を通じて完全な状態に昇華させるべき対象ととらえている。—— ビル・ブリッジズ、Promethean Podcast にて
と言っているから当然ではあるが。
そういうわけで、自分へのメモを兼ねて、錬金術の見地から Refinement の解説(の解説)を試みる。
Prometheans often pledge themselves to a regimen of alchemical study: the Magnum Opus, the Great Work, the purpose of which is to attain the New Dawn, also called the Aurora — the soul.
プロメシアンはしばしば錬金術に基づく一定の修錬を自分に課す。これがマグヌム・オプス=大いなる作業で、その目的は「新たな暁」または「アウロラ」と呼ばれる境地に達すること——すなわち魂の完成である。
大いなる作業とは錬金術用語で、卑金属を黄金に変える「賢者の石」を作ること。とかく錬金術は不完全なものを完全にしたがる学問で、黄金は完全な金属と考えられていたらしい。
なんで錬金術と魂が関係するのかというと、人間は大宇宙の縮小版で、宇宙で起きることは人間の内側で起きることに対応する、という思想があるからだ。つまり大いなる作業は錬金術師自身の不完全な魂を完全にする作業でもあって、物理的作業とおなじぐらい精神修養も重視されたようだ。
For this reason, a particular course of the Great Work is called a Refinement, for it seeks to make complete an incomplete Creation.
大いなる作業の様々な手法を精錬/Refinement と呼ぶのはこのためだ。不完全なものを完全にしようと試みる点で、金属の精錬と同じだからだ。
ただ、New Dawn とか Aurora という錬金術用語が実際にあるのかどうかは確認できなかった。ご存じの方がいれば参考文献などお教え願いたい。
The Promethean's base matter — his body and mind, associated with the metal lead — has already undergone the stages of putrefaction, dismemberment and resurrection, but he has not yet attained the Dawn.
プロメシアンの原質——精神と肉体で、金属の鉛に対応する——はすでに「腐敗」「分離」そして「再生」の段階を終えているが、まだ「暁」には達していない。
世界は硫黄・水銀・塩の三原質からできているというのが錬金術の通説だったが、パラケルススは人間も三原質で成り立っており、それは霊魂・精神・肉体であると唱えた。プロメシアンには霊魂がないので body and mind というわけだ。「associated with the metal lead」については後で述べる。
さて腐敗云々の話だが、これは賢者の石の製造過程と対応しているようだ。たいへん雑な言い方をすると、賢者の石とは硫黄と水銀を混ぜて作るのだが、完成までに3つの段階がある。
赤化の後さらに金と混ぜて「発酵」させることで初めて賢者の石となる、とする本もあるそうだ。
腐敗(putrefaction)と再生(resurrection)と完成(Dawn?)についてはプロメシアンにぴったり当てはまるように思える。プロメシアンは「死」体から「再生」し、魂を「完成」させて人間となる。もっとも賢者の石ではバラバラのものが結合してから「死ぬ」が、プロメシアンでは先に死んでからバラバラに(dismemberment)されるわけで、順序が逆のように見えるが、結局バラバラの要素を「結合」してから「再生」するのだと考えればある意味正しいといえなくもない。
そこに至るために人間を模倣する手法は、完全金属である金の名(Aurum)をもつ。プロメシアンにとって人間こそがめざす黄金ということだろうか。とすれば、赤化した後に金と混ぜる「発酵」は、人間となっていよいよ憧れの人間社会に入っていくプロメシアンの象徴かもしれない。人間と暮らしたいという欲求こそ、プロメシアンを人間への道に駆り立てる原動力だからだ。
人間はときに無知で不完全で、プロメシアンを忌み嫌い追いたてるけれど、それでもプロメシアンは人間になろうと欲する。なぜなら人間にはお互いがいるので、孤独じゃないから。少なくとも孤独になる必要がないから。—— ビル・ブリッジズ、Promethean Podcast にて
Refinement の解説に戻ろう。
He wanders through Saturnine Night, beset by horrors… some of his own making. Until he is perfected, all his Works shall be imperfect.
〈鉛夜〉をさすらうプロメシアンは、さまざまな恐怖に付きまとわれる……ときには己が生み出した恐怖に。まず己が完成しなくては、どんな大いなる作業も完成しない。
Saturnine Night とは V:tR の Requiem に相当する用語だろうと見当はつくものの、辞書を引いたら逆にこんがらかってきた。
saturnine
— a.
1 【占星】 土星の影響をうけて生まれた; 〈気質・顔など〉むっつりした, 陰気な (gloomy), 冷笑的な.
2 鉛の; 【医】 鉛中毒の[にかかった].— リーダース英和
まあ行く先々で人間に嫌われていたらムッツリ陰気にもなるだろうと思うが、プロメシアンと土星と鉛がどう結びつくのか。首をかしげていたら、錬金術では鉛と土星を結びつけていることを教えていただいた。
という対応で、金属は1→7の順に完成に向かうとか。プロメシアンを賢者の石に見立てると、彼らは変成の第3段階にいるわけだが、金属の成長の第3段階はまさに鉛=土星。ものの本には「『夜』、土星と『智者のアンチモン』があらわれる。」という記述があるらしく、土星と夜も結びついていることがわかった。
さらには、賢者の石を作るには炉の火(Pyros!)で加熱し続けねばならず、その材料を入れるフラスコ「哲学の卵」は別名「墓」と呼ばれるなど、プロメシアン設定との暗合を数え上げればきりがない。
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Cuprum: The Refinement of Copper, or the Self. Practitioners are called Pariahs or Eremites.
クプルム:別名、銅の精錬。自己の精錬とも。実践者は「野人」「隠者」と呼ばれる。
2つ目の Refinement。Matt McFarland がプレビュー開始直前のインタビューで言及していた Pariah とは、この Refinement のことらしい。
もう少し突っ込んだ定義のほうも見てみよう。
クプルム:銅の精錬(自己の精錬)—— Torment を抑えて自然から(敵意ではなく)慰めを得るための修行。これを実践するプロメシアンは野外生活のこつを心得ているだけでなく、自然の中で暮らすのが最も居心地良く感じる傾向がある。
銅の精錬では「自己」に注目する。というと自意識過剰とか自己中心的といった印象を与えるかも知れないが、クプルムの趣旨はそれとはまったく別物だ。自分の肉体に本来備わっている適応力を掘り起こし、全感覚を解放して世界を受け入れ、自然と一体化して生きる。そうすれば、Torment の影響を和らげ、自分を排除しようとする世界と折り合いを付けていけるようになるだろう——うまくすれば世界に自分を受け入れる余地を作ってもらえるかもしれない。結果ではなく過程が重要なところはクプルムも他の精錬と同じだが、本質的に孤独な修行であるという点が異なる。そのため、この精錬は進歩の度合いをはかるのが難しい。
Matt McFaland インタビューで、Cuprum の実践者を描いたものと思われるイメージテキストが公開されている。孤独さのほどがしみじみうかがえる。
子供たちはメア・ストリート・ブリッジの下を通るとき、人差し指と中指を重ねて災い除けのおまじないをする。中には息を止める子もいる。交差点を左に曲がってセントマーク・カトリック・スクールに行く子はロザリオや十字架を手探りし、右に曲がって第23公立学校に行く子はただ足を速めて通り過ぎる。ごくたまに、そういう子供たちの一人が橋を見上げることもある。
もしその日が朝から曇りで薄暗く、濁った川面に陽光が反射してきらめくこともあまりなく、その子がしかるべき時に橋を見上げ、しかるべき場所に目を向けたなら、緑の目がふたつ、こちらを見下ろしているのと出くわすだろう。その目は人間のもののようだが、およそ人間が潜りこめるはずのない狭い隙間から覗いている。その目は別に怒っているようでも意地悪そうでもないが、やっぱりお化けに見えるのか、子供たちは小さな胸の奥で心臓をどきどきいわせながら学校へ逃げ出していく。
子供たちが橋桁の隙間に見るのは僕の姿。僕はここにずっと昔からいて、何世代もの子供たちが橋の下を通り過ぎるのを見てきた。その誰にも何もしなかったのに、彼らはいまだに僕が危害を加えると思っている。つまりまだ出ていく時期ではないということだ。でもいつの日か、子供たちは橋を見上げて僕を見つけ、下りておいでよと呼んでくれるだろう。その時が来るまで、僕は待ち続ける。—An Interview with Matt McFarland, Op. 1, 2006/05/10
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