
V:tRセッションで使用したアッシュ・リンハルトが〈抱擁〉された理由について散文風に書いてみました。なお、公子とヘルマンの儀式めいたやりとりは『Invictus
』p.92 の「Petitioning the Prince」を参考にしています。
本当は「Embracing the Child」の公開抱擁もなかなか壮絶でネタにしたかったのですが、アッシュのキャラクター・コンセプトとはちょっと相容れなかったので。
本文は「続きを読む」から。
燭台の蝋燭がゆらめきながら暗い室内をおぼろに照らしだしている。
——こうして公子に拝跪するのも何十年ぶりか。
ヘルマン・リンハルトが〈抱擁〉の許しを願い出るのはじつに数十年ぶりのことで、却下される理由はないとわかっていても、インヴィクトゥスたるもの礼儀を重んじる。
美しく彩色された巻紙を広げ、嘆願書に公子が目を落とすあいだ、ヘルマンは己から遡れるかぎりの血祖の名を暗唱し、彼らが結社に増し加えた領土と栄光を数えたてる。
しきたり通りなら、その後、暗唱は継嗣候補の系図にまでおよび、〈第一身分〉に名を連ねるにふさわしい名門の出であることを証明するはずだった。その代わりにリンハルトが書類挟みを無言で差しだしたので、公子はこの小さな形式の乱れに眉をひそめつつ、赤革の表紙を開く。綴じられている身上調査書を読み進むにつれ、眉のひそみは眉間の皺に変わっていった。
「アルダー・ロード、貴公、本気か」
「戯れや冗談で、誇り高きインヴィクトゥスが膝をついて嘆願しましょうや?」
「……これが」公子は一枚目をつまみあげて宙にひらめかせる。中性的な美貌をもつ少年の顔写真がちらりと見えた。メキシコ国境近くの貧しい白人の子。肉親による虐待歴。家出、窃盗、売春、おそらくは書ききれないほどあるはずの軽犯罪。ディーヴァ氏族ごのみの美貌を除けば、どこにでもいるようなストリート・キッド。それをヘルマンは弁護士まで雇って、どうやってかこの街まで追ってきた母親から養育権を手に入れていた。「ロードの称号を持つ者に膝をつかせるほどの逸材とは思えんがな」
「わがきみ、私は逸材が欲しいのではありません」
「私情か? インヴィクトゥスに衆愚は要らぬぞ」
「すでにハウスの〈後継者〉は指名済みです。それをさしおいて後釜を欲しがるような野心や頭脳はむしろ邪魔になる。私が欲しいのは——」
ヘルマン・リンハルトは跪いたまま公子を見あげる。背筋に寒気が走るような嗤いを浮かべて。
「——ヴァンパイアの血と、その器。それだけだ」
「ロード・リンハルト……貴公……」
「この老骨をいましばらくインヴィクトゥスの騎士として働かせるには、少しばかり上等な油を差してやる必要があるのですよ」
それは彼が、もはや人間の血ではなく血族の血を啜って生きる存在になったことを意味していた。
しばし、沈黙が部屋に降りる。
「……なるほど」先に口を開いたのは公子だった。「なるほど。油差しに爵位や封土は要らぬ、とな」
「むろん貢納を血に切り替えてしのぐことも考えました。しかし——それでは遠からず己が臣民を喰らい尽くすことになりましょう」
「理解した」
公子は溜息のように呟いて、傍らの燭台から一本、火のついたままの蝋燭を抜いた。
「アルダー・ロード・ヘルマン・リンハルトに公子として問う。聖ロンギヌス第一の戒めを、汝、知り居るや?」
「偉大なるロンギヌス語りて曰く、汝、血族にあらざる者に正体を顕すなかれ。これに叛かば、汝、血族たる権利を剥奪さるべし」
「人の子に血を分ければ、その者は血族にあらずして汝の正体を知る。その贖いはいかに?」
「ロンギヌスの名において、我が君に赦しを乞う。我はここに宣誓する。かの人の子に、〈抱擁〉の前においても後においても、血族の秘密を漏らさせぬことを。我が身の血にかけて、ここに宣誓せん」
「かくあれかし」
ヘルマンの前に置かれた空の燭台に、公子は蝋燭を刺した。
「この蝋燭を誓いのしるしとせん。これは〈第一の戒め〉の灯、ロンギヌスが無明の闇にもたらせし、呪われし者を導く灯火。これを汝の継嗣の光明とせよ。継嗣がその行いによって汝の誓いを破ることあらば、この炎が汝の血を焼き、汝か彼か、あるいは共にか永遠の滅びをもたらさん」
小さな灯に浮かびあがったのは、細身の短剣と銀のゴブレット。ヘルマンはためらいもなく短剣を取りあげ、手首を切ってゴブレットに血を滴らせた。
一滴は、ヘルマン自身の忠誠のしるしとして。
一滴は、その血を継ぐことになる子の忠誠のしるしとして。
アッシュ・リンハルトの命運は、こうして定まったのだった。
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