![]() |
2000年3月 |←次の月|前の月→|最新の日記に↑| |
給料日。雇用契約書がないと知った時点で予想したとおり、あとで揉めることになったわけだ。
人は無意識に自分を中心として一定距離の空間を自分のテリトリーとみなしているという。知らない人や親しくない人がそのテリトリー内に入ってくると不快感を覚えるらしい。電車の座席は必ず両端から埋まるとか、デートスポットのアベックは不思議と等間隔に並んでいるのがいい例だ。
ところが世の中にはどうもそのテリトリーが異常に狭い人がいるらしく、話しているうちにどんどんどんどんすり寄ってくる。かくいう私はテリトリーが異常に広いたちなので、無意識に間合いをとろうとする。そんな二人が一時間打ち合わせをするとどうなるか。
部屋を一周して気が付いたら壁際に追い込まれていた。
潜在意識のなせる追いかけっこである。
Microsoft Publishersなんか使うのイヤです。
スパゲティ屋で夕飯を食っていたら、なにげに隣のアベックの会話が聞こえてきた。
恋人同士と思いきや、妙に心配性の男と、さっぱりした気性の女友達という取り合わせらしい。男は片思いの相手に告白しようかどうか悩んでいる。
一昔前の女子高生みたいに、ささいなことで一喜一憂しているのである。なんともはや、うじうじした男で、他人事ながら胸が悪くなってきた。私は自分の皿を平らげるや否や早々に店を出た。
最後にちらりと見ると、女が男の肩を叩きながら
「まあ何か進展があったらまた相談しなよ。あたしはキミのこと何でも知ってんだからさ
」
と励ましていた。台詞的には爽やかなのだが、状況的にはあまりに男が格好悪すぎて、ティーン向け小説どころか漫画の題材にもなれそうにない光景だった。
傘を差そうか差すまいか、判断に困る霧雨
妙な店を見つけた。
変な喫茶店
嘘のようだがこれが店名だ。看板に堂々と白抜きで書いてある。
看板の文字以外はいたって普通の、ありふれた町の喫茶店というたたずまいなので、いったいどこが変なのか、入って確かめたいという誘惑にかられる。しかし『営業中』の札が掛かっているくせにカーテンを閉め切っていたりして、うさんくさいことこのうえない。こんど昼間に突撃取材を敢行したいと思う。
この喫茶店に電話をかけると店員が「はい、変な喫茶店でございます」とか言って出るのだろうか。電話番号ぐらいメモってくればよかった。
○ンケル買って帰ろうとしたら稲妻と豪雨
最近、女子高生の声が低くなったような気がする。
なんというか、俗に言う「黄色い声」を聞かなくなった。
可愛いというより、喉にいがらっぽいものでも溜まっているような、ハスキーボイスの女の子が増えた。昔と比べると音程にして長2度ぐらいはキーが下がっている。機械で測定したわけじゃないが、断言したっていい。若者の声域は低くなっている。
そういうことを考えるのは私だけかと思ったら、本屋で立ち読みしてた本に、最近の幼稚園児の声が低くなっている、という話が載っていた。幼稚園の先生がオルガン伴奏する時に、昔よりキーを3度ぐらい下げないと高い音が歌えない子供が多いことに気づいたそうな。たしか、中公新書だったと思う。それ以外の話がひどくつまらなかったので買うのをやめたのだ。
いつか赤ちゃんの泣き声も低音化する時代が来るだろうか? 長3度ぐらい。
Book of Nod 文語訳の第一弾として、「The First Time」の文語訳を追加した。
同じ原文を異なる文体で訳し分けるのは結構楽しいのだが、やはり古風な雰囲気を出そうと思うと漢籍の素養のなさをつくづく感じる。あまり擬古文調にこだわると一読して意味が分かりづらいから、どこまで砕くかも悩まされる。いっそ日夏耿之介ばりに「眺めやる//蕭条びしこの比の祭祀の宵さり」とかやってしまったらさぞかし面白かろうが、Book of Nod全部その調子で訳しきる自信はないので分をわきまえて「なんちゃって古文体」ぐらいにとどめておくことにする。
いま日夏耿之介訳の『ポオ詩集|サロメ』(講談社文芸文庫)を読んでいる、というか勉強しているのだが、やはり昔の教養人が書く文語体には独特のリズムがあって眩暈がするほど格好いい。読むとき国語辞典と古語辞典が手放せないけど。
職場が定休日で上司もいないのでデフラグ日和。
と思ってパソコンのスイッチを入れたら
Non system disk or disk error (システムディスクが見つからないか、ディスクエラーです)
一瞬冷汗が出たが、何のことはない、フロッピーを抜き忘れていただけである。
ハードディスクから先に起動システムを探すMac OSではこのような事態は起こらないので、慣れている私はつい外部メディアを平気で入れっぱなしにする癖がついている。気をつけよう。
久々に一日が丸ごと自分のものである幸せ。
どうも中指が痛いと思ったら、きのうピチカート奏法のやりすぎで指先にまめができていた。コントラバスの弦はそこいらの金網に使われている針金より太いので、他の楽器よりそういうことになりやすい。
いつものことで慣れているが、だからといって厄介さが減るものではない。バンドエードを貼って弾いたらすぐ剥がれるし、潰さないと水が溜まって感覚が鈍くなるし、潰しておいて中指で弾くともっと痛いし下手すると皮が剥ける。
けっきょく、中指のまめは潰しておいて、その指をかばいながら人差し指で弦を弾くことになるのだが、中指のまめが治りきる前に人差し指にもまめができてしまうと悲惨である。薬指と小指は弓を持つためにふさがっているからだ。
その場合は人差し指のまめも潰して、むりやりどちらかの指で弾くことになる。
人差し指と中指、どちらの痛みを我慢するか。へっぽこベース弾きのささやかな苦悩である。
キーボードを見ないでタイプする技術、あなたは何と呼びますか?
私がPC-6001用の入門書(平安京エイリアンとかのプログラムが載っていた、などというと年齢がバレるな……)の見よう見まねで覚えた頃は、「ブラインドタイピング」と呼ばれていたように思う。
ところが最近のタイピング練習書にはみな一様に「タッチタイピング」と書いてある。いつの間に呼び名が変わってしまったのか。なぜブラインドではいけないのか。タッチの方が2文字短くなるからか。いや、インフォメーションだのソリューションだの漢字なら2文字で済むようなカタカナ語が氾濫する昨今、2文字の差に何ほどの意味があろうか。
ひょっとしたらブラインド〜だと「め○らタイピング」、おっとこれは差別用語ということになっていたっけ、じゃあ「視覚障害者タイピング」、なので自主規制されて「タッチタイピング」になったのか。
しかしキーボードというものはタッチ=接触による入力のために設計された機械であって、キーボードの文字を見ようが見まいが、はたまた人差し指一本で叩こうがエイリアンが12本の指で叩こうが、タッチしなければタイプできない仕組みになっているので、「タッチタイピング」というのは適切な名前でないと思うのは私の言語感覚が古臭い証なのだろうか。
我らが弦楽五重奏団がいつも練習場所にしている市民会館内には喫茶店がある。
メニューのサンプルが並べてあるガラスケースをなにげに覗いたら、張り紙が目に入った。
モーニングサビースあります
サビース。たった一文字順序が違うだけで、なんだか寒々しい雰囲気である。サビース。さぶぃす。さぶいっす。寒いっす。
メニューには「カッカレー」というものもあった。ツの字だけ微妙に小さい。おもわずその隣に読点を打ちたくなる。
カッ、カレー。
いかにも辛そうだ。
昼飯はローソンの生パスタ
昼休みに飲もうと思ってユ○ケルを買ったら非常に細いストローがついていた。
そんなもの使わなくても1秒でラッパ飲みできる分量だったが、せっかくなのでその極細ストローでちまちま飲んでいた。お上品な人はきっと、こんな小瓶でも瓶にじかに口を付けたりしないのだろう。
ところで、どこの薬局でも、ドリンク剤を買ってその場で飲むと、必ずと言っていいほど栄養剤をおまけしてくれるのはなぜだ。
1を選んだ人は素直な人。2を選んだ人は精神年齢の高い人。3を選んだ人は、ついウケ狙いで発言してしまう関西人だろう。根拠は何もありません。いま思いついただけだから。
大雨が降る夢を見て目が覚めたら、午後から本当に雨が降ってるよ。
帰り道、繁華街の路地の奥で若者が大声でどなりあっていて、やれやれ喧嘩かよ、と思ったらバスケットボールを投げ合っていた。
雨の中をバスケ。青春だなあ。
しかしよく考えたらあそこは駐車場でゴールなんてはなからない。
ドッジボールをしていたのかもしれない。その場合、青春だなあ、ではなく、体育会系だなあ、と言いたくなるのはなぜだ。
会社でやることがなくなったのでここのページを作っていた。
上司が何やら手持ちのCD-ROMを持ってきたが、色がRGB値指定すらできないグラフィックソフトなんて要るかコノヤロウ、と机を叩き割りたくなるのをぐっとこらえる。活字が三行以上並んでいると頭痛がするという人々相手に判りやすく物を説明する商売には、私は向いていないようだ。
風呂で頭を洗っている最中に鼻血が出た。
なにぶん温まって毛細血管が開ききっているときの出血なのでなかなか止まらない。湿度100%の空気の中でティッシュが何かの役に立つとも思えない。かといってこの血まみれの姿で風呂から出たところを最近血圧の高い親が目撃しようものなら卒倒しかねない。
しかたないので自然に止まるまで風呂場の中で本を読んでた。暇だったからね。ぼたぼた血を流しつつ、失血多量で倒れませんようにと祈りつつ。
読んでいたのがえっちな本でなくて本当に良かった。
ブランクを抜きにしても、コントラバスを弾き始めてかれこれ10年になるのだが、いっこうに上手くなるどころかますます腕が落ちていくのは毎日弾かないせいだというのは判っているのだ。
幼少のみぎりはおよそ楽器に縁のない暮らしだった。そういう子供が中学で吹奏楽部に入ったこと自体、私の人生七不思議のひとつなのだが、ドレミを書かないと五線譜が読めず、ピアノ五重奏曲とはピアノ五台で弾く曲のことだと思っていた私が、いまチャイコフスキーなんぞを弾いているのは、おそらく私の人生における奇跡の可能性を使い果たした結果なのではないかと思う。
大袈裟な、と思われるかもしれないが、他人からベースの弾き方を教わったのは中学時代のほんの数ヶ月だけなのだ。無理矢理シマンデル(コントラバスの伝統的な教則本)を弾かせる教師がいるわけでもないので、教則本は初めの数ページさらったら飽きた。ひたすら実戦で弾くだけなので、いまだにクラシックの曲は自分がやったことがあるやつしか知らない。
コントラバスを弾くと言うと珍しがられるのだが、実態はこういう楽器弾きだ。そんなに大柄でもないので、楽器を運んでいる所を前から見ると「コントラバスに脚が生えて歩いているように見える」と言われる。コントラバスのソフトケースを寝袋にしたこともある。いつだったか、合宿の時、コントラバスの陰に潜り込んで寝ていて、目が覚めたらみんなが私のことを捜して右往左往していた。
私はずっとここにいたのに。
今日のセッションについては何も語るまい(笑)
エリエット・アベカシス『クムラン』を読了した。
凄まじい本である。
死海文書の失われた巻物をめぐるミステリーという形はとっているが、それ以上に膨大な情報が詰め込まれている。言うなれば、サ○ウェイで「具を全種類入れてください」と言ったら出てくるサンドイッチだ。文脈の間に情報がはみでるほど突っ込んである。死海文書がどのように発見され、なぜあれほど騒がれ、山のように解説書が出たにもかかわらず、肝心の内容に触れている本はほとんどないのか……という辺りを知りたい人にはお勧めだ。ただ一つ気になったのは、たぶん誤植か翻訳者の見落としなのだろうが、381ページで神が預言したと書いてあることだ。およそ神様というものは予言をしても預言はしないのだ。『大辞林』によれば……
【予言】未来の出来事や未知の事柄をあらかじめいうこと。また、その言葉。
【預言】神や死霊の意志を媒介し、人々に伝えること。また、その言葉。とくに、超越神によって示された世界の意味・救済の意味などを人々に述べ伝えることをいう。
まあ、この辺りは次の版で訂正されていることを祈るしかない。
著者アベカシスは27歳にして哲学教授、モデル並みの美女である。天は二物を与えたもうらしい。父親が高名なラビである関係か、ユダヤ教の戒律や習慣、風俗に関する描写も事細かい。私はユダヤ教については「キリスト教の親戚」程度の認識しかなかったので、本書はずいぶん勉強になった。
しかし、何といっても最大の見どころは、イエス・キリストが自らの復活を預言しておきながら、死に際に「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(主よ、主よ、何故私を見捨てたもうのか)」と叫んだのは何故か、という謎の解明である。これはもう、参りましたと帽子を脱ぐしかない。トリックとしては、物凄い力業なのだが……これ以上は読者の楽しみを削ぐから話すまい。
もう一度言うが、凄まじい本である。
某アニメで死海文書が一躍有名になったとき、解説書を読もうとして挫折した向きはぜひ一読あれ。
この日記で一番時間がかかるのは題名を考えることと言ったら笑われるだろう。
いつもお世話になっているチャットルームが、最近外国人づいている。こないだは、日本人が化けてるんじゃないかと言いたくなるほど日本語のおそろしく流暢なドイツ人だったが、今朝方来た人はもっとすごかった。
まずログイン時にハンドル名を入力していなかったので、管理人が注意したが、それを無視して「仲間入れで(仲間に入れて、という意味らしい)」「無視?ひどい」などと連発。他の参加者もルールを守るよう警告するが、まったく聞く様子がない。
やっとのことで名前を入力して入り直してきたものの、今度は嫌がらせかというような、管理人と同名使用。こちらが話しかけても反応せず、意味不明の日本語を連発する。……そこで、はたと気づいた。
助詞の欠落。不自然な動詞活用。異様なレスポンスの遅さ。
思い当たるものがあって、即座にキーボードを叩いた。
「ひょっとして、あなたは日本語が母国語じゃない人ですか?」
「日本人ではない。だからかんべん」
仕方なし、インターネット共通語である英語に切り替えて、『ルールを読んで理解してから参加するのがここのルールだ。ルールが読めないならよそのチャットに移った方がいい』と忠告するも反応なし。
その後何時間も、謎の人物はチャットルームに居座り続け、こちらの質問を頑として無視し続けた。私は途中で落ちたのでその後の経過は知らないが、場が大いに白けたことはたしかだ。
いったいあの人は、自分が読めもしない言語が飛び交うチャットルームで何がしたかったんだろう。いや、外国人にしては(^_^)なんて日本風の顔文字を使っていたし、だいたい日本語FEPを使っていてあんな妙ちきりんな日本語を打ち込むには作為的な努力が必要なのだから、やはり外国人のふりをした日本人のいやがらせなのか。
なんだかあとから腹が立ってきた。
東京に転勤する夢を見て、「ボケとツッコミがない土地に行くのは嫌や〜!」と泣きながら目が覚めたのがつい数日前のことだが、東京に行くかもしれないはめになったのは私ではなく友人だった。ひょんなことから東京の会社に就職面接を受けに行って、えらくめげて帰ってきたと人づてに聞いた。友人はとても真面目ないい奴なのだが、学歴のことで面接官にくそみそにけなされたのがこたえているらしい。といっても彼は立派な某公立大で学んでいるので、面接官のほうに何か学歴コンプレックスみたいなものでもあったのだろう。
しかし、事が起こる前からもらい泣きしてしまったのか、私は。
気分が滅入る一日だったので、カクテルバー一本と煙草を買って、堤防に座って、ぼーっと川を見ながら煙草吸ってた。
めったに吸わないので、一箱買えば一年は保ってしまう。そういう、喫煙者の風上にもおけないような吸い方だから、ヘビースモーカーにもならないし、ましてや禁断症状でいらいらしたこともない。もっとも後者は父親の遺伝ではないかとも思う。日に二箱は当たり前だった親父は、突然「頭痛がするから煙草はやめる」と宣言した次の日から一本も吸わなくなったが、けろりとしていたからだ。私も無性に吸いたくなる時期はあるものの、どういうわけか、それが習慣にはならない。
川は、まあ当然のことながら、私の思惑とは無関係に滔々と流れていた。
悩もうが悩むまいが腹は減るものだ、と悟った時のことを思い出した。
朝、改札を出ようとしたら定期を落としたのに気づいた。
さいわい、途中の乗換駅で拾ってくれた人がいて、そこで預かっているので帰りに受け取ればいいですよ、と駅員が改札を通してくれた。ラッシュアワーの忙しい時だというのに、他人の定期を拾って届けるなんて親切な人がいたものだ。
長く使っている物は、情が移るのか、ふしぎと失くしても戻ってくる。この定期入れだって大学に入った年に買ったものだ。革のキーホルダーなど、もう印刷してある字も読めないほどすりきれているが、どこで落としたかも判らず諦めていたとき、いつのまにか鞄の中に入っていたことがある。
しかし、帰ってくる品物の最たるものは腕時計だ。高校の時からバンドを取り替えながら使い続けて未だに現役である。たまに、たしかに置いたはずの場所になかったりするのだが、そんな時は必死で探しても絶対見つからないので、「いいよ、出てこないのなら他のを使うから」と予備の腕時計をはめていく。すると、必ずとんでもない場所で見つかるのだ。
でも傘だけは戻ってきたためしがない。
それは腕ほどの太さがあった。
駅のトイレでのことだった。
明らかに陶器メーカーの予想を凌駕するサイズだったために、頑として流れなかったものらしい。さあ、もう何のことか判ったね。今、これを読んでいる人の3人に2人は、自分の腕のサイズを確認したことだろう。
駅のトイレに出入りする最大の哺乳類はホモ・サピエンスなので、おそらくそれは人○なのだろうが、それにしても排出には並々ならぬ困難があったろうと予想される、というより、こんなものが存在するとはちょっと信じられない。
しかし目の前に厳然として存在するその巨大な忘れ物に、人体の神秘を感じた今日の晩である。
こんな太いものが出てこれるんだから、そりゃあ……(以下自主規制により検閲削除)
ダン・シモンズの『夜の子供たち』を読む。たしかに吸血鬼ものではあるのだが、ヴァンパイアを「蘇った死者」ではなく「生き続けるべく呪われし者」として描いているところが興味深い。吸血鬼現象を「死ぬに死ねない病」として、医学の専門用語を駆使して説明しているのが新鮮だった。あ、フィクションです。
やっとこさ会社のHPのプロトタイプをでっちあげる。会長、頼むからスキャナとフォトショップだけでも買ってください。さもないと今後の作業が1ミリも進みません。
胃の辺りにかすかな痛み。
オースン・スコット・カードの『赤い予言者』を読んだ。カードといえばSFと思っていたから、西部開拓時代のインディアン物と聞いてつい買ってしまったわけだ。なんにしろ、インディアン物は好きだし。
やはりSF作家というべきか、冒頭から発火能力者の酒商人をはじめ、超能力者がぞろぞろ出てくるのだが、能力の使い方が生活に密着しているというか、すごく地味なのが面白い。なんというか、決して表立って使わないあたりがMageを思わせるのだ。いっぽうインディアンの方は、サバイバル能力がかなり誇張されていて、こちらはWerewolfという感じ。白人を大陸から追放しようとする戦士が現れるあたりはそのまんまウェンディゴ族の資料としても読める。
面白かったので1時間で読破。ちぇっ、これで帰りの電車用にもう一冊本を買わなきゃ。
いま、3枚の古いFAXを読み返している。
1996年。もう4年前の代物になる。
なぜ後生大事に保管しているかといえば、これは過去の苦い教訓だからだ。
このFAXを貰ったとき、私は反論すべきだった。
少なくとも、指摘された点について、明らかに自力で解決不可能な部分については、他者に協力を求めるべきだった。
それっきり催促どころか音沙汰もなくなったとき、せめて「あの件はどうなったんですか?」と尋ねるべきだった。
ましてや事の発端は私だったのだ。
しかし4年前の私はそれができなかった。
でなければ、私は今ごろ違う道を歩いていただろう。
たとえその夢が叶わないという、運命までは変えられないにせよ。
後悔していないといえば嘘になる。
けれども「あらゆる経験には意味がある」というのが私の持論だ。
刺し殺されかけたこととか、薬のお世話になったこととか、二度と味わいたくない体験はたくさんある。しかし、そこを通り抜けてこなければ、今の私は存在しなかった、と思うのだ。
寄り道ばかりしているようで、結局のところ、身の回りのすべての事象が、私がかつて目指していたもの、今も内側に燃え残っているものに向かって動いている。
あたかもそれを目指すしか私に道は残されていないかのように。
自分は運命論者ではないし、その道を目指すのは非現実的だと判る程度には歳を食ったと思う。事実、あきらめようと努力している。だのに周囲の状況がそっちに流れてゆくのはどういうわけか。決して少し前にどこかに書かれた文章だけの話ではない。あれは考えるきっかけを与えたにすぎない。
そういうわけで、これからある所から来たメールの返事を送信する。
あれから4年経って、昔ほどの世間知らずではなくなったつもりだが、私がしようとしていることは4年前の繰り返しと人の目に映るかもしれない。
たとえそれがどんな結果を生むにしても、何の結果ももたらさないにしても、あるいは一部の友人たちが心配しているように、最悪の結果をもたらすにしても、それは私が甘んじて受けるべきものなのだろう。ここから先に歩いてゆくために。そして生きている以上、前に進まなければならないのだから。
だから大丈夫。
なるようになるのさ。
休日につき12時間爆睡。これではBook of Nodの翻訳が進まないな。
弦楽五重奏団の練習日だが、今日は大学で待ち合わせる代わりに駅でバイオリニストの女性の車に拾ってもらうことになっていた。「西口のコンビニの前で待っていて」と聞いたのだが、行ってみるとそんな店はない。仕方なくそのまま改札で待つこと10分、心配になって彼女の携帯に電話をかけたら、知らない男性が出て、反射的に「すいません間違えました」と切ってしまった。新婚ほやほやの旦那が代わりに出てくれたとあとで知った。
コンビニはやはり東口にあった。
雨のせいか、いつになく道が混んでいて、件のバイオリニストと一緒に苛々していると、前方で警備員が赤いランプを振っている。なんだか不穏な雰囲気だなと思ったら、案の定事故らしく、目的と正反対の方向につるりと曲がらされてしまった。
「嘘ッ、そんなの聞いてないよーーー!」
車内にバイオリニストの悲鳴が響き渡った。
「これじゃ家に戻っちゃうじゃないのよー!」
仕方なくえんえん迂回して練習場にたどりついた時には、1時間の大遅刻だった。
帰りは楽器の都合でもう一人のバイオリニスト(男)の車に同乗させてもらっていたが、そのとき私の携帯が鳴った。練習を休んだビオリストからである。
「もしもし、いまそこに○ちゃんいる?」
「あの……私、Jの車に乗ってるんで……」
そう、○ちゃんとは女性の方のバイオリニストなのだ。
「えっ、○ちゃん携帯を家に忘れてるみたいだからそっちにかけたのになぁ。さっき彼女の携帯にかけたら、旦那さんが出てびっくりしたよ」
とどめは駅から電車に乗ろうとしたときである。階段で足を滑らせて、ものの見事に滑り落ちた。幸い、人通りの少ない時間のことで、周囲は誰も気づいていない様子。ひねりはしなかったものの足を強打して、しばらく起きあがれなかったところに、またも私の携帯が鳴り響いた。
アベックや駅員の視線が、情けない格好でへたっている私に集中したことは言うまでもない。歯を食いしばって起きあがりつつ携帯をとったところ、先刻のビオリストの声が。
「悪い、さっき言い忘れたんだけど……(私の呻き声に気づいて)……おい、大丈夫か?」
一瞬、殺してやろうかと思ったさ。真剣に。
昔のマンガとか、今も雑誌の投稿欄でたまに見るけど、料理で塩と砂糖を間違えるうっかり屋って本当にいるのだろうか。
ふつう味見した時点で判ると思うんだが。ふだんめんどくさがりな人でも、人に食べさせる時ぐらいは味見するだろう。で、間違えたと判ったら人様に出すはずはない。出したら確信犯だ。
でも、私の母は砂糖とビタミンCを間違えたことがある。
ぜんざいを煮ていて、もう少し砂糖を足したかったらしい。ちょうどスティックシュガーがあったので、それを入れたら、なんだか酸っぱくなった。包み紙をよく見ると実はビタミンC粉末だったというわけだ。レモン70個ぶんのビタミンC。うひゃあ。
「樽いっぱいのワインに、1滴の泥水を落とすと、樽いっぱいの泥水になる」
とはよく言ったものだが、鍋いっぱいの酸っぱいぜんざいを作ってしまった母はどうしたか。
そのまま砂糖をガンガン入れて、私たちに食べさせたのだ。
「ビタミン入りだから体にいいのよ」と言って。
ぜんざいはほのかにヨーグルトの味がした。
昔、古くなったぜんざいを食べて腹を壊したときの、あの味にそっくりだった。
接続設定と格闘するの日。プロバイダからのメールが7通も溜まっていたことからして、どうも契約してから3ヶ月ぐらいほったらかしにされていた様子。わざわざISDNを引いているというのにだ。なんと度量の大きな会社だろう。鼻からエクトプラズムが出そうな遠い気分になった。
職場で唯一のパソコンにはそもそもインターネットの設定がされていないことに気づく。ホームページ完成までの道のりがぐっと遠のいた。
とうとう三日連続で、スカートをはいた男の年寄りを目撃してしまった。
おとついは黒の巻きスカート。
きのうは赤のタータンチェックのタイトスカート。
たまたま女物の服を拾ったホームレスなのかも知れないが、今日のは確信をもって違うと言える。
今日のおじいさんはセーラー服にルーズソックスを履いていたからだ。
次はぜひともナース服に挑戦してくれ。
今日は寒いね。
転職先に初出勤。
仕事はこの会社のホームページを作ることだ。
ドメインを取っただけで何にもない状態と聞いていたが、ハードディスクを見たら前任者がぼちぼち作ったサンプルがあったので、それを流用しようと思ったのが甘かった。
FrontPageのショートカットを見たときからイヤな予感はしていたが、案の定、独自タグはあるわ、リンクは絶対アドレスで張ってあるわ……これ手直しするより自分で書いた方が速いや。
というわけで、今日は一日ぶっ通しでHTMLを書いていた。
メモ帳で。だってテキストエディタが入ってなかったから。
爪の先までMac使いな私は、ついMacのつもりで全然違うショートカットキーを押しまくっていた。警告音を切っていなかったら、私はたぶん即刻クビになったに違いない。
夢で焼き肉を食べていた途中で目が覚めた。
もういっぺん寝直して残りを食べようかと本気で考えた。
夢の主観的長さと客観的長さは異なる、という珍説がある。
本人は眠っている間じゅう夢を見ていたつもりでも、実時間に換算すれば数分ないし数秒の出来事にすぎないというのだ。
脳がごく短時間におびただしい情報量を処理するので、夢はすぐ忘れてしまうし、あまり細かいことまで覚えておけない理屈である。
しかし、すると私は皿いっぱいの肉を数分ないし数秒で焼き、なおかつ食べたことになるのか。
箸でスパゲティを食べるレストランで昼飯。
『なすとしめじの味噌風味』なるものを注文する。
漠然と、味噌田楽風の味を想像していたわけだ。
しかし、出てきた麺にかかっていたソースは白かった。
茄子、しめじ、コーン、海苔がトッピングされている。
食す。……おいしい。美味しいが、初めて食べるメニューなのにさっきから感じまくるこのデジャヴーはなんだ?
わかった、味が味噌ラーメンそっくりなんだ。
スパゲティはとても美味しかった。ウェイターの若者もてきぱきしている。
でも、ひとつ忠告していいかね?
カウンターの中で仕事の愚痴をこぼすのはやめた方がいいよ。
客に全部聞こえてるんだ。
因果は巡る。
いまの私にはそれしか言えない。
TRPGサークルの例会。トーキョーN◎VAでニューハーフの暗殺者を演じたつもりが、ただのうさんくさいお姉ちゃんになってしまう。しかも2ndのテクニカルさえ覚えられなかった私にとって、Revolutionはもはや隔世の感があった。
そのあと定例の飲み会では、マグロを食べながらマグロ(轢死体)の話をしていた。半分人間を捨てている。
ウソです。本当はカキを食べてました。ちょっとダジャレが言いたかっただけです。
朝、コーヒーカップを片づけようと思ったら、中身がまだ入っていることを忘れていて、辺り一面にぶちまけてしまったよ。
パジャマ、カーディガン、掛け布団、敷き布団(含むシーツ)、ホットカーペット、その下のカーペット、みんなコーヒーまみれだ。やったー。
キーボードが濡れなかったのがせめてもの救いである。刻一刻と濃ゆくなってくるコーヒーの匂いの中で、洗えない物は濡れタオルで叩きまくり、洗える物は洗濯機に突っ込み、いま一息つこうとコーヒーを入れたところ。全然懲りてないね。
くしゃみ、鼻水、鼻づまり。やばくなってきまじだ(鼻声)。
最近のJ-Phoneは三声の和音で着メロが鳴るらしいね。
携帯電話の着信音の進歩は著しい。ついこの間までただのビープ音だったのが、いつしか音階を鳴らせるようになり、自分で作曲できるようになり、とうとう和音。
考えてみるとパソコン音楽の進歩とだぶってくる。ただのビープ音→ビープ音でメロディ→FM音源3声→FM音源6声→PCM音源→MIDI内蔵音源→MP3。
そのうち着メロがMP3で配布される時代が来るのだろうか。CD音質の着メロ。うっかりクラシックなど入れたら、着信音と気づかずに聞き入ってしまいそうだ。かといってデスメタルを入れるのも良くない。携帯が断末魔の呻き声をあげているようにしか聞こえない。
書類手続きのため就職予定の会社に出かけてきた。
今日はキャッチセールスが一人も寄ってこない。
私がまるで彼らと同業者のような黒スーツを着ていたからかもしれない。
……買ったときには気に入ってたんだがなぁ。
趣味でコントラバスを弾くので、ISBJというコントラバス奏者団体のメーリングリストにお情けで加えてもらっているが、変なモノ観察家としてちょっと見逃せない記事を発見したのでここで紹介しよう。ある業界紙からの引用である。
日本クラシック音楽事業協会が3月、東京で開催するイベント「第4回クラシックはいかが」でステージや衣装のデザインにコシノヒロコが協力する。具体的には指揮者と司会者の衣装をデザインするほか、イベント第1部の8人のソリスト用の衣装、第2部の104人のオーケストラ用の衣装も提供する。第2部ではメンバーを8グループに分け編成する。
同オフィスでは、このコンサートを百貨店の売場キャンペーンに連動させる。第1弾は「父の日商戦」。キャンペーン用に
・ハイドンパンツ
・バッハTシャツ
・プッチーニタオル
などの新アイテムも企画し、人気投票の他に実売もする。
ハイドンパンツ……どんなものか想像もつかん。いやプッチーニタオルだって判らないけど、ハイドンとパンツの組み合わせは凄い。『パパ・ハイドン』だから父の日アイテムに使っちゃえ、って発想ならさらに凄いぞ。
父の日が近くなったらそーっとデパートを覗いてみよう。
なにげなく見上げた青空に五芒星の形をした雲があった。ああ、いま手元にデジカメがあったら。
地下鉄に乗ったら、カツオブシで有名な食品会社の車内広告があったのだが。
鰹には「まぶた」がありません。
だから目を閉じることはありません。
死んでも私たちを見続けています。
○○○○(会社名)も「おいしい味」を見続けてまいります。
設問:この広告が製品のイメージアップにつながらないと思われる理由を200字以内で指摘しなさい。
|前口上|最新作|観覧席|喫茶室|案内板|日 記| |
![]() |