![]() |
2000年6月 |←次の月|前の月→|最新の日記に↑| |
いま翻訳中のコンテンツの下調べに薬学文献をあたっているのだが、ガチガチの文系の落ちこぼれである私は化学式など見ただけで眠くなる。今日も開いた医学辞典に突っ伏したままうとうとして……
花の咲く庭で集合写真を撮っているのだった。なぜそういういきさつになったのか思い出せないが、皆、制服を着て笑っているし、前に写真屋が三脚を立てているということは、とにかくこれから写真を撮るのだろう。
「はーい、みんなこっちを向いてー」と写真屋。
私もそちらを向こうとするのだが、どうにも首がいうことをきかない。うつむいたまま顔が上がらないのだ。だいたい、私は最前列にしゃがんでいるのだが、尻の下の生暖かい感触、これはなんだ。気持ちが悪いので横に退こうとしても、こんどは足が動かない。一人でじたばたしているうちに、写真屋がもう準備を終えてしまった。
「いいですか、撮りますよ〜。
『256×512÷65536=』はなーんだ?」
「2!」(カシャッ)
撮り終わると、人々は私の苦境などまるで無視してわらわらと散っていき、あとには動けない私だけが取り残される。待ってくれ、首はともかく、尻の下の生暖かいものだけは何とかしてくれ。呼び止めようとしたら今度は声まで出ない。いったい、下にあるこれはなんなんだ。新手の変態か。顔の角度が変えられないので、なんだか黒くてモザイクがかかっているのしか見えないのだ。
おまけに、今度は背中にまで生暖かく適度に柔らかいものが貼りついてくるではないか。
なんだこれは!?
目が覚めた。私は律儀にも、椅子にきちんと座ったまま、首の後ろが攣りそうなほど顔を下に向けて、うたた寝していたのだった。どうやら、眠りが浅かったために、半分金縛り状態になっていたらしい。
黒い回転椅子の座面も背もたれも、私の体温が移ってすっかり生暖かくなっていた。
台所ではご飯が炊けていた。
ラジオのニュースで、神津島で震度5弱の地震があったことを告げていたアナウンサーが、その位置を説明するのに
「……島の東、新島の下にある神津島で……」
ひとりで朝飯を食っていた私がその瞬間「地下にあるんかい!」とツッコミを入れた気持ちは関西人ならずとも理解していただけよう。
もちろんアナウンサー氏も単に東西南北が地図の上下左右とごっちゃになったゆえの失言だと思う。きょう偉そうに揚げ足をとる私だって昔、車の道案内をしていて「次の角を横」と言ったことがあるという暗い過去はひとまず棚にあげておく。
たしかに、我々は土地の高低にかかわらず比喩的な意味で「上る」「下る」という動詞を使うことがあり、たとえ高い山に住んでいても地方から東京に来れば「おのぼりさん」であって「おくだりさん」とは言わない。英語でもしばしば平らな道を歩くのに walk down (道に沿って歩く)と言ったりする。しかしこれが上下左右という名詞になると問題だ。
「駅はどっちですか?」
「そこの角を南だよ」
と答えるべきところを、今朝のアナウンサーのように
「そこの角を下だよ」
と言ってしまった場合の結果を想像してみるといい。万一、その角にマンホールなどあったりしてみたまえ。道を尋ねた男が、そのマンホールを開けて「下」りていってしまうかもしれないではないか。
注意すべきは南だけではない。
「すいません、この辺にコンビニありませんか?」
「この道をずーっと北に行くと○ーソンがありますよ」
と言えばすむものを、うっかり
「この道をずーっと上に……」
と言って指さした道が下り坂だったりした日には、奇異な目で見られることうけあいだ。しかし、もしもそう答えたとき道を訊いた人が
「ああ、上ですか。どうもありがとう」
などと丁寧に礼を言って「上」にのぼっていってしまった場合、それは宇宙人か幽霊だろうから、そいつに足があるかどうか確かめた上で、N○SAか霊能者に電話したほうがいい、などという戯言を本気にしてはいけない。
傘を持たずに外出したら、そぼ降る雨の中、30分も歩き続けるはめになった。
神様、私になにか恨みでもあるんですか。
熱がぶり返さなかったのがもっけの幸い。
古本屋でグレゴリー・ストック『質問の本』を買う。読む本というより、考えるための本だ。
「友人や知人が、あなたのことを本心ではどう思っているのかを、率直に隠すところなく語ってくれるとしたら、聞きたいと思いますか?」
「あなたの親友が麻薬の売人だと判明した。どうしますか?」
という具合に、答えのない質問が200余りも列挙してある、ただそれだけの本だ。即答できるものもあるが、たいていは答えに詰まってしまう類の問いかけばかりである。逆に自分が明確に答えを出せるのはどんな質問が多いかチェックしていくと、自分がどのような場面において「自分のルール」を作っているか気づかされる。
問題は、へこんでいる時に読み出すと、ますますへこんでいくことだ。
「いちばん最近ひとりで歌ったのはいつですか?」
寝て起きたら38度あった体温が37度に下がっていた。夕飯を食べたら7度4分に上がった。体温が乱高下を繰り返している。
こうも暑くなってくると、女性が履いている、ミュールやサンダル、あれが涼しそうでいいですな。蒸れにくそうで。
ただ、ときどきサンダルばきで足の裏が真っ赤になっている人を見かけると、痛々しくて見ていられない。特につるつるしたビニール素材のサンダルはだめそうだ。きっと歩く摩擦熱で足の裏が尋常じゃない温度になるのではないか。
朝からいまひとつ頭がしゃっきりしない。なにか現実と薄皮一枚へだてて接しているような、妙な遊離感が絶えずつきまとう。昨夜はそんなに飲んだろうか? いや、それより身動きするたびに全身を鈍い痛みが走るのはなぜだ。どう考えてもここまで酷い筋肉痛に悩まされるような肉体運動をした憶えはない。
顔を洗って朝飯を食って外出しても、奇妙な非現実感は消えなかった。アスファルトを踏む、その感触すら別人のもののようだ。なんというか、地面に見えないマットレスを敷いて、その上をふわふわ歩いている感じである。のみならず、炎天下を歩いているのになんだか寒い。ひごろから他人が「暑い」という陽気でも長袖で平気な低体温なので、そのせいだろうか。いやちょっとまて、夏至の直射日光下で、Tシャツ一枚で寒いというのはさすがにおかしいんじゃないか。
帰宅してぐったりしながら体温を測る。37度7分あった。悪寒、節々の痛み、発熱……なんで今まで気づかなかったのか。典型的な風邪の諸症状じゃないか。ただでさえ暑い場所を熱の出ている状態で歩いたもので、脳が半分煮えていたせいか。
暑いのに寝過ぎてよけいに身体が辛くなったので、深夜に起き出してこの日記を書いている。おでこに冷えぴた。
どうやら私は一度に二つのことができないらしい。
脳味噌が並列処理に耐えられないようなのだ。
困ったのは、歳をとるにつれてそれが改善されるどころかますますひどくなっていくことだ。
最近など、考え事をしながら歩いていると、つまずいたり、階段を踏み外すことなどしょっちゅうだ。
恥ずかしい話だが、電柱にぶつかったことも一度や二度ではない。
つまり、物を考えることと、歩くことが同時に処理できていないわけだ。
これは情けない。
弦楽五重奏団の練習日。
今日はドヴォルザークのクインテットを合わせるのだ。
空調で室内の空気が乾いているせいか、さっきから鼻がむずむずする。しかし第一ヴァイオリンは楽器を構えて弾き始めの合図をしている。やめてくれ、そんなタイミングでカウントされると……
へっくしょい!
こともあろうに、曲の出だしの音にぴたりと合わせてくしゃみが出てしまったじゃないか。
「そんなものまで合わせなくていいだろう」と他の四人は笑いこけている。
我が家で講読していない新聞の、昨日付朝刊の19面に、面白い話が載っている、とヴァイオリニストの後輩が言うので、電車ではるばる隣市の中央図書館に出かけた。ヴァイオリン弾きはその記事がどんな内容なのか言おうとしなかったが、まあ日付とページが判っているからには見ればすぐ分かるだろうと思ったのが災難の始まりだった。
普段は図書館で新聞を読まないから気づかなかったが、こういう場所の新聞はどうやらおやじ連中の独占状態にあるようで、一人が読み終えてラックに戻した瞬間に別のおやじがさらっていく。つまり、特定の新聞を読もうと思ったら、現在それを持っている人が読み終わる瞬間を見はからって、ラック前で待ち伏せるしかないのだ。
しかたなく私は適当なスポーツ新聞を読むふりをしつつ、隣のおやじが持っている新聞を早く読み終えないかとこっそり監視体制にはいる。それにしてもこの状況は何かに似ていないか。古い刑事ドラマだ。刑事が喫茶店で容疑者の張り込みをする、そのとき新聞に穴を開け、そこから向こう側を覗くのはどこか懐かしい刑事の芝居というやつだが、穴を開けるのはどうあっても新聞でなければならない。週刊誌に穴を開けるのは骨が折れるしだいいち顔が隠れない。「ディ○スカタログショッピング」の大きな広告だったりしたら、犯人は即座に「あいつどう考えてもおかしいぞ」と感づいてしまうし、さらに「不自然なほどでかい紙」とか「壁と同色に塗った布をかぶって隠れる」といったことでは、刑事として明らかに失格である。ばかなことを考えているうちに隣のおやじが新聞を読み終わってしまったたじゃないか。
ひったくるようにその新聞を確保する。フォルダーには、今日の朝刊と夕刊が挟んであった。必要なのは昨日の朝刊であって今日の新聞に用はない。私のこの1時間はなんだったのか。図書館員に保存新聞コーナーの場所を尋ねて、私はとぼとぼと2階に上がった。
古い新聞は半月ごとに束ねて保存してあるのだが、昨日の朝刊が綴じてある分はすでに中年のおばさんに確保されてしまっていた。それも、コピー機の上で丹念に読みながら気に入った部分をコピーするという、殺意すら覚えさせる悠長な独占ぶりである。くそ面白くもない郷土史を眺めながら30分待った。ようやく新聞の吟味を終えたおばさんは、あら、おたく、待ってらしたの、ほほほ、などと言う。よほど手にした重量感溢れる郷土史で殴ってやろうかと思ったが、ポーカーフェイスを作る練習をかねて「いいえ構いませんよ」とクールに答えてしまった。
これでやっと19面の記事とご対面か、と思いきや、その束からはなぜか昨日の朝刊が抜けていた。たかが昨日の地方紙の1ページを見るのに、こんなに待たされたあげく、よりによって目当ての朝刊だけがないとはあんまりではないか。
貸し出しカウンターに文句を言いにいくと、その中年男は少しも驚かずに「誰かが抜いていったのかもしれませんねえ」と答えた。もしかしたらあのおばさんがコピーをとるふりをして、こっそり昨日の朝刊だけ抜き取ったのかもしれない。もちろん私に19面の記事を読ませないためだ。恐るべしおばさん。そこまでして私の目から隠さねばならない19面の記事とはいったい何なのか。秘密文書か、政府の暗号か、新発明の化学式か。
「じゃあ、○○新聞の昨日の朝刊は紛失したままになるわけですか?」
すっかり誇大妄想狂ぽくなった私がいささかイヤミたらしく尋ねると、図書館員がしばらくしてあの幻の昨日付朝刊を持って戻ってくるじゃないか。
「いやあ、すいませんねぇ。手違いで、別の新聞と一緒に綴じてしまってたんですよー」
もはや腹を立てる気力もなく、私はただ、半笑いをうかべた。
スーパーで蒟蒻ゼリーが一袋100円で売っていたので、喜んで10袋購入したら、3日で食べ終えてしまった。
しかし、なぜか体重は5kg減っていた。
昨日はアトロピンの毒性ばかり書きたてたが、これも用量によっては鎮痛剤や痙攣止めになり、散瞳用点眼薬に用いられるれっきとした薬物である。昔は薬局で売っている目薬にもこれを含むロートエキスが使用されていたため、女性が飲む酒にこっそり混ぜて昏倒させるという、嘘のようなナンパのテクニックが都市伝説のように囁かれた時代もあった。(現在そのような散瞳用点眼薬は一般人には入手できないし、昏倒させるには目薬一本分飲ませないとだめらしい。念のため)
ロートエキスの名前は聞き覚えのある人も多いだろう。それもそのはず、多くの胃腸薬に鎮痛成分として配合されているからだ。胃腸薬を酒に混ぜたって譫妄は起こらないが(副作用を抑える成分が配合されているため)。このロートエキスは何から抽出しているかというと、和名ハシリドコロというナス科植物だ。
ハシリドコロといえば、漫画『陰陽師』4巻で、源博雅が土精の難を逃れるために、安倍晴明の入れ知恵でこう言い訳している。
「…(略)…本日、辛気に良く効くという薬草をいただきました。それがハシリドコロという草を干したもので、煎じて碗に三杯ほどいただきました。その後は何やら心がどうにかなってしまったようで、ここでぼうっとしております」
出典は忘れたが、これは実際に古典文学にも出てくる話で、平安時代の日本ではアトロピンの散瞳作用より興奮・幻覚作用が薬用に用いられたというところだろう。
アトロピンを含む植物にはほかにチョウセンアサガオがある。こちらは京極夏彦『姑獲鳥の夏』で、悪徳医師がヒロインを手籠めにするのに飲ませていたような。
現代の女性は美容のために健康にも気を遣うようだが、中世の女性は自分を美しく見せるためには多少の不健康をもいとわなかったようである。
たとえば、抱けば折れそうな細腰をつくるために、コルセットを肋骨が折れそうなほど固く絞らせたというのはよく知られている話だ。まあ、あちらの女性というのはある程度の年齢に達すると急に豊満になる人が多いらしいので、気持ちは分からなくもない。また「悪い血を抜く」医療技術であった瀉血は、女性が肌を色白に見せるためにも施された。わざわざ貧血で顔色が悪い状態を人工的に作ったわけである。
さらには瞳を大きく見せるために、ベラドンナの葉と根を煮出したエキスを含む目薬を点眼しさえした……ベラドンナエキスに含まれるアトロピンに瞳孔散大作用があったからだ。このアトロピンは大量に投与すると、中枢神経系に対し、はじめ刺激的に作用して興奮・瞳孔散大・幻覚を起こすが、のちには麻痺的に働き、昏睡・体温降下・不整脈・呼吸麻痺をきたして死に至る。
中世ヨーロッパにおける、ベラドンナのもうひとつの使い道は「毒殺」であった……あな恐ろしや、恐ろしや。
人は、無意識のものも含めて一日に約200回嘘をつくという。
しかし今日の私がついた嘘の数は、200個どころか1つもない。
そもそも朝から誰とも口をきいていないからだ。
だが、月に2回はTRPGをやっているから、その日だけは人の2週間分ぐらい嘘をついている。一ヶ月で平均を取ればやはり200回/日ぐらいになるだろう。
統計のマジック。
公衆トイレの個室に入ると、こんな張り紙がしてあった。
詰まりますのでトイレットペーパー以外のものを流さないでください
巷でしばしば見かける文面だが、そもそも個室とはトイレットペーパー以外のものを流すために存在するのではなかろうか。
TRPGサークルの例会で、テーブルに出す飲み物を調達に行くと、「わかやま」という蜜柑ジュースと「あおもり」という林檎ジュースがあった。
結局「あおもり」だけを買ったのだが、ペットボトルのラベルをよく見ると「あおもり」のロゴの上に幾分小さく「わかやま」と書いてある。
いったいこのジュースは青森産なのか、和歌山産なのか。美味しさ以前にそれが気になって仕方ない。
ラベルをよくよく読めば、生産者の住所は和歌山県になっており、つまり「わかやま」はブランド名で「あおもり」が商標名という、JAROに訴えたくなるようなネーミングなのであった。
今だから言える話だが、私は電話恐怖症だった。
かかってきても他に手の空いている人がいる限り絶対にとらないし、自分から電話をかけなければならない時は最低15分は受話器を持ったまま逡巡していたものだ。
とはいえ、社会に出れば電話と無縁ではいられない。しかも、しょっぱなから、電話が鳴れば自分が出るしかないという職場に当たってしまった。いっとき胃をおかしくしたものの、それが一種のショック療法になったのかどうか、現在では、まあ、仕事に支障がない程度には電話への恐怖が薄れてきたし、友人から電話がかかってくると話し込んで家人に嫌みをいわれたりもする。
しかし、相変わらず苦手なのがセールスだ。
親戚や知人はたいてい夜に電話してくるので、昼間にかかってくる電話はまずセールスなのだが、断った後もいやな気分になる。何の興味もないセールストークを聞かされた私の数分間を返してくれと言いたくなるが、こちらからかけ直すのもばかばかしい。だいたい、いつも断る文句に困ってしまう。いつか、「結構です」と断ったら「結構=オーケイ」と勘違いされて商品を送りつけられた、という本当か嘘か判らない都市伝説のような噂を聞いて以来、「結構です」とはどうしても言えずにいる。
で、居留守を使ったり、間違い電話のふりをしたりするのだが、今日はうっかり妹の行きつけの美容院から電話がかかってくるのを忘れていて、「うちに○○(妹の名)なんておりませんが」と、美容院のお姉さんにしらを切ってしまい、あとで怒られた。
暑いですな。
スペイン語やフランス語などロマンス諸語を習う初心者にとって、最初の難関の一つが名詞の性だろう。たとえばスペイン語で、sol「太陽」が男性名詞とか、flor「花」が女性名詞とかいうのは、まあ判らなくもない。しかし、ときにはなぜそれが男性ないし女性名詞なのか、理解に苦しむような単語もある。
私はフランス語はからきしなのでスペイン語の話をするが、ネクタイ、すなわち『ハッカーズ大辞典』が「脳への血液の供給を部分的に阻害する絞殺デバイス」と定義するあの細長い布、あれは corbata という女性名詞になる。
しかるに、ブラジャー、あれはスペイン語で何と呼ぶかといえば、soste´n(本当はアクセント符号が e の上に来る)、男性名詞である。
一般に男性が背広とともに着用するネクタイが女性名詞で、まあ最近でこそ着用する男性もあらわれたとはいえ、おおむね女性が装着するものであるブラジャーが男性名詞とは、これいかに。
先日、某サイトを眺めていて、やっとその謎が解けた。
これは、「つける人」ではなく「はずす人」の性別なのだ。
意味が判らない人はお父さんお母さんに聞いてみよう。叱られることうけあい。
家族がつけっぱなしにしたテレビを消そうとしたら、ちょうどCMが流れていた。
若い女性がクロゼットを開けると、何人もの同じ顔をした女性が首を吊ってぶら下がっている。こちらを向いた顔は恨めしそうどころかにこやかに微笑んでいるのが余計に不気味だ。
私はリモコンを持ったまま凍りついた。なんてシュールな映像なんだ。クロゼットの中で首を吊った娘さん達がぶらぶら揺れているよ。しかも画面の色調はあくまでポップで、脳天気なBGMが流れていたりする。いったい何のCMなんだ。コメディホラー映画の新作予告編なのだろうか。
最後の瞬間に現れたロゴを見るに、それはどうやら某エステサロンのコマーシャルらしかった。
徐々に製作者の意図が呑み込めてきた。クロゼットの中の娘たちは、別に首を吊ったわけではなく、ハンガーにかかった洋服を模して吊り下げられているという設定のようなのだ。それならまあ、クロゼットを開けた女性が脳天気に笑いながらポーズを取っているのもうなずける。
しかし近年まれにみる衝撃的な映像だったな。
爪を切っている。
翻訳をしていて国語辞典をひいたら、「夜爪」という言葉があるのを知った。
[よ-づめ 夜づめ(夜爪)] 夜、つめを切ること。 >「世を詰める」として、これを忌み嫌う俗信がある。(現代国語例解辞典)
「世を詰める」とはどういう意味だろう。この辞書には載っていなかった。「忌み嫌われる」からにはよほどいやなことに違いない。だいたい「よをつめる」という言葉の響きからして暗い感じだ。夜中に女子高生が制服のスカートの裾を針でちくちく縫ってミニ丈にしている光景を見るようなわびしい雰囲気がある。気になって仕方ないので『大辞林』をひいてみた。
よ-づめ【夜爪】 夜に爪を切ること。親の死に目に会えないなどといって忌まれる。
そういえば、親の死に目に会えないという説は、むかし母から聞いたような。しかし、これにもやっぱり「世を詰める」は載っていなかった。気になる。
文庫本を買ったら、おまけでしおりをはさんでくれた。初めからしおりが挟んである角川文庫に新潮文庫のしおりをおまけするのもどうかと思うが、別段あって困るものでもないからまあいい。
おまけのしおりには5mm刻みの目盛がついている。定規にして使えということなのだろうか。文庫本を開いたままの姿勢で、さて何の寸法を測ろうかと周囲を見回す。5mm単位で7cmまでしか測れない定規で測れるものは知れている。バーコードの幅、3cmちょっと。文庫の活字の大きさ、たぶん3mmぐらい。人差し指の爪の幅、1cm。
人は往々にして、ちょっとした暇を持て余すものだが、本を読むには短すぎるとなると、何をしていいか途方にくれることがある。たとえば次の駅で電車を降りなければならない時だ。あるいは、朝早くがらんとした銀行で窓口の呼び出しを待っている。開かずの踏切に引っかかった。面接の約束より15分も早く会社に着いてしまった。何をしていればいいのだろう。暇つぶしの本を鞄から出して開いたとたんにその暇が終わりそうな気がする。
そんなとき、おもむろに定規でその辺の物の寸法を測るというのはどうだ。電車で暇が発生したのなら、とりあえず切符のサイズを測る。窓口のカウンターの奥行きを測る。そんな数字になんの意味があるのか。何の意味もない。だから、万一、定規をあてたとたんに暇が終わってしまっても、いっこうに惜しくないだろう。
問題は、定規を取り出してカウンターの寸法を測っている人は、かなりばかに見える、ということだ。
かなりだめになってきている。
世の中のなにもかもが3Dになっていくようだ。気がつけば、不○家のペコちゃんの絵にまでCG風のリアルな陰影がついている有様である。そんなものをリアルに描いてどうするというのだ。今後は劇画路線を突っ走るつもりなのかペコちゃん。
しかし、3D化がもっとも顕著に現れているところといえば、なんといってもパソコンソフトの操作画面だろう。
あらゆるソフトはバージョンアップすると、ボタンやアイコンに影が付いて立体的になる。これを「立体化の法則」と呼ぶことにしよう。
見た目が美しくなること自体には文句はない。ないが、カラフルなアイコンや影付きボタンに飾られたウィンドウを開いて作業をしていると、相対的にウィンドウの中身の方が貧相に見えてきて困る。たとえば、Macintosh版のInternet Explorer5だ。ツールバーの、あの無意味に半透明なアイコンはなんだ。しかも、見た目がつるっとしている。グミそっくりで美味しそうじゃないか。あれほど食欲をそそるツールバーを持つソフトのことを私は知らないが、書きたいのはそんなことではなかった。
マイク○ソフトらしからぬ、妙に洒落たデザインのあのウィンドウには、やはりFlashなどを駆使した洒落た造りのホームページしか表示してはならないような心持ちになってくるのだ。
中学の頃、女の子に授業のノートを借りたら、カラーペンを駆使して7色ぐらい使って書き分けてあり、鉛筆で書いてある文字が全体の八分の一ぐらいしかなかったことを、なんの関係もなく思い出す。
初めてのTRPGサークルでVampire:the Masqueradeをやる。といっても、知らない人がほとんどと聞いていたので、ルールを説明するのも辛そうだと思い、Introductry Kitの簡易ルールを使ってのものだ。
V:tMのST経験は少ないのだが、シナリオの出来はたぶん過去のセッションの中でいちばんましな類だと思う。陰惨な雰囲気を出そうと『ナインス・ゲート』のサントラをBGMに使ったのが思いのほか好評で、女性プレイヤーの方が後で他の卓のプレイヤーに『BGMが格好良かった』と話しているのを偶然立ち聞きして密かにほくそえむ。
PCはほぼクランのステレオタイプに忠実なロールプレイをしてくれて、ストーリーテリングがとても楽だった。
今後の課題は小細工に頼らず楽しめるシナリオを前日までにちゃんと書き上げること。
私が住んでいる辺りの土地では、季節になると各家庭で「いかなごのくぎ煮」を大量に炊く。小魚を甘辛く佃煮風に煮たものだ。もっとも、最近はスーパーでも売っているのを見かけるようになった。いや、感慨にふけっている場合ではない。
弦楽五重奏団の練習に向かう途中、車窓から外を見ていると、小洒落た感じのケーキ屋の店頭に
いかなごのくぎ煮ケーキ
という張り紙がしてあって面食らった。
くぎ煮とケーキである。どう頑張っても舌にマッチする組み合わせとは思えない。それを実現しあまつさえ大々的に宣伝しようとは、あなどれない腕を持つケーキ職人がいるに相違ない。
買って帰らなかったことがつくづく悔やまれる。
翻訳会社は不採用。結果待ちはあと一社。
他人が同じ鍋に箸を突っ込むのがイヤで鍋を食べられないとか、電車の吊り革を抗菌ティッシュで拭いてから握るという話を聞いても、その心情はなかなか理解できない私だが、ひとつだけ彼らに通じるかもしれない強迫観念があったりする。
ハエたたきだ。問題は、あの小さな四角い網が先端についた、小型昆虫撲殺用の器具だ。
梅雨時も近くなると、にぎやかになるのは蝿や蚊ばかりではなく、古めかしい言い方をすればゴキカブリ(御器噛)というが、現代ではいつのまにかカが抜けてゴキブリになってしまい、アブラムシなどとアリマキと紛らわしい呼び方もされる、あの茶色い楕円形の昆虫も出没するわけだ。
あれを殺害するのに、人によっては、台所用洗剤をかけたり、エアサロンパスで凍らせたりするらしいが、うちでは古式ゆかしく件のハエたたきを使う。最近のゴキブリはタフになったようで、殺虫剤をかけても効きだしたころにはこちらの手の届かない隙間に逃げ込んだりしてくれるからだ。それに、あのキ○チョールという薬剤は効きすぎてなんだか自分まで駆除されてしまいそうな気になる。
問題はゴキブリを叩き潰した後だ。なにせハエたたきというのは普段あまり洗ったりしないものだ。あの網部分にはおそらく過去数十匹分のハエ・カ・ゴキブリを叩いた痕跡が残っているはずなのだ。なかには、ちょっと身が出ちゃったものもあるかもしれない。しかるに私はそれで床やら壁やら天井やらをはたきまくったわけである。
これで、抗菌ティッシュでそこらじゅうを拭かずにいられるものか。
別の会社の面接に行ったら、フランス人が出てきて、フランス語と英語しか通じないというので、ウン年ぶりに英語で会話する羽目になった。
読み書きはともかく、会話能力は相当に錆びついていることを確認させられ、かなりへこむ。
結果はあした。
「シミュレーション」のことを「シュミレーション」と言ってしまう場合がある。
この間違いのすごいところは、小さ目の国語辞典にも「シュミレーション」のことが「シミュレーション」の誤りとして記載されていることだ。しかし、『大辞林』には「シュミレーション」が見出し語として載っている。しかも、誤用とは一言も書いていなくて、単に「シミュレーションを見よ」と書いてあるだけだ。
ミュといえば、「コミュニケーション」も、うっかり考え込むと「コミニュケーション」のほうが正しかったかもとか考えだして記憶が怪しくなる。「コミュニケーション」が正解です。
映画俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーなどは、人が喋っているのを聞くとよく途中の「ェ」が落ちて「シュワルツネッガー」になっている。そういえば、「ツェツェ蝿」という単語は、何度繰り返してもちゃんと発音できている気がしない。「ツエツエバエ」と「チェチェバエ」の中間のような響きは、何度も繰り返していると妙な気分になってくる。ふつうそんな単語を何度も発音する人はいないが。
いったい、なぜそう思うのか理由がさっぱり分からないが、何度覚えてもすぐ忘れるのが、書類を入れる「アタッシェケース」だ。いざ発音する段になると「ほんとにアタッシェでよかったっけ? アタッシュケースの間違いじゃないか?」とか思い悩んでつい「アタッシュ」と「アタッシェ」のどちらにも聞こえるような曖昧な発音でごまかし、後でこっそり辞書を引くのだ。辞書の表記はアタッシェになっている。
翻訳会社のバイトの面接に行った帰り、臨時収入を突っ込んでW:tAサプリメントを買い込み、映画『ナインスゲート』を観る。
黒の深さが際だつ美しい映像も印象的だったが、おどろおどろしい題材を扱う映画なのに、随所に故意としか思えないおかしさが散りばめられていて、笑いをこらえるのに苦労した。例えば、ポスターなどで額に意味ありげな血痕のついたジョニー・デップの写真が使われているが、あの血痕は何の血なのかというと……これ以上は楽しみを削ぐので、知りたい人は今すぐ映画館に直行だ。
原作はアルトゥーロ・ペレス・レベルテの『呪のデュマ倶楽部』(ハヤカワ文庫版では映画化に合わせて『ナインスゲート』に改題)だが、入り組んだプロットをうまく取捨選択してまとめていると思う。読んだことがない人は先に映画を見たほうがいいかもしれない。映画では最後まで明かされないさる人物の正体が、原作では途中であっさり明かされてしまうからだ。
ペレス・レベルテの作品は、膨大な文学・美術の知識をつぎ込んで、蜘蛛の巣を顕微鏡で覗きながら糸を一本一本ピンセットで選り分けるような、緻密な謎解きが楽しい。個人的にはこの原作の前に書かれた『フランドルの呪画』のほうが好みだが、チェスの逆指しというちょっと常人に真似のできない方法で謎を解く同作に対し、『ナインスゲート』の方はまだ素人なりに判じ絵を見ながら頭を絞れる余地があるから、これはこれで買い得だったりする。
だいじょうぶ 【大丈夫】(形動){ナリ}
1. 危険や心配のないさま。まちがいがないさま。
2. きわめて丈夫であるさま。非常にしっかりしているさま。
(大辞林)
たとえば、ちょっと転んだとか、飲み物でむせた程度の相手に対し、「大丈夫ですか?」と声をかけるのは、大事に至らなかったかどうかを確認するという意味で筋が通っているのを認めるのにやぶさかではない。
しかし我々は、しばしば明らかに重傷を負って苦しんでいる人間に対しても「大丈夫ですか!?」と呼びかけてしまう。そんなことは訊かずとも見れば分かるじゃないか。血が出たり、呻いたりしている状態のどこが大丈夫なものか。
もっと分からないのは、「大丈夫ですか」と訊かれると、たいていの人は怪我の度合いにかかわらず「大丈夫です」と答えてしまうことだ。どう見ても大丈夫そうでない人間に「大丈夫ですか」と尋ねるのもばかだと思うが、ちっとも大丈夫そうでない人間が「大丈夫です」と言うのもどうか。
こういうことばかり書いているので、世の中のことがますますわからなくなっていく。
いったい、昨夜の、夕飯の、何が、悪かったと、いうの、だろう。
サラダか。煮魚か。みそ汁か。ほかにも、なにか、食った、気が、するが、思い出せない。
あんなに、胃が、裏返りそうに、なるまで、吐いたのは、数ヶ月ぶりだ。
医者に、行こうにも、洗面所から、一定距離以上、離れられない。
救急車を、呼ぶべき、だったろうか。
とても、そんな、ところまで、頭が、回らなかったが。
昼遅くになって、ようやく起きても腹も胃も痛まなくなった。諸方面に迷惑をおかけした。ST予定をドタキャンしてしまい、申し訳ない。
たがみよしひさの『Nervous Breakdown』という漫画に、頭は切れるが胃弱なために、定番ギャグのようにいつでもどこでも吐いてしまう、安藤という探偵が出てくるのだが、昨夜から今日午前中にかけての私が、ちょうど彼の境遇を地でいく状態だった。
食器という食器、鍋という鍋を、殺菌ができる台所洗剤と熱湯で親の仇のように洗いまくり、念のため冷蔵庫の生ものは全部捨てた。ちょっと、パラノイアぽくなっているかもしれない。
しかし、せめてもの救いは、昨日は牡蠣を食べなかったということだ。牡蠣は一度当たると確率変動に入って(こらこら)、次に食べたときに当たる確率がぐっと上がるという。牡蠣フライは大好物なので、そうなると辛い。
なぜ昨夜の日記は平然としているかというと、夕飯前にアップしたからだ。
修羅場に突入。
夢でなぜか劇団『リリパット・アーミー』に入団することになり、わかぎえふと差し向かいで話をしていた。たしかに演劇は好きだし、そもそもこの『骰子回転劇場・転』だって、母校のいまは無き演劇集団の名前をもじって使わせてもらっているぐらいだが、別にそれほど思い入れがあるわけでもない人物に限って夢に出てくるのはなぜだ。
たとえば小学校や中学校の頃の同級生が出てくる夢でも、当時の親友が登場する頻度より、かろうじて名前をうっすら覚えているぐらいのクラスメートが出てくるほうがはるかに多い。
と、オチのつかない文章を書くと落ち着かない気分になり、どうにもオチを考えずにいられなくなるのは、関西圏独特の強迫観念というやつか。
店員がみんな袴をはいて昔の女学生風の格好をしているファミレスがあるらしい。一度、見に行きたいと思うのだが、ただ店員を眺めるためだけに遠方のファミレスまで出かけるのはどうか。もうひとつ、店員全員が巫女さんのコスプレをしている居酒屋にも行ってみたいが、ただ珍しいもの見たさだけでそこまで遠出してくれるような友人がいないので、たぶん行くとしたら一人で出かけることになる。
大衆居酒屋でひとりで冷酒を飲みながらひたすら店員さんを鑑賞する。
よくわからないが、かなりだめな感じだ。
たしかに腹筋が気になる年頃ではあるし、大胸筋や三角筋がもう少し発達していれば、デパートでマネキンが着ていた服を自分の身に付けてみた時、シルエットのあまりのだらしなさに涙することもないかもしれない。
だが目下鍛えるべきは表情筋だ。なにはともあれ顔面の筋肉からだ。
それに気づいたのは履歴書に貼る写真を眺めていた時だった。
私は写真を撮られるのがあまり好きではなくて、履歴書に要るから渋々写真屋に撮りにいったぐらいだから、撮影というと緊張するのか、うまく撮れたためしがない。その写真も例外ではなく右頬がひきつって半笑いになっている。こんな写真を貼って福笑いのような顔の人だと思われたら困る。撮り直そうかと思っていると、以前に撮って紛失したと思っていた履歴書用写真が見つかった。しかしこれもまた右頬をひきつらせて半笑い状態のしろものだ。では左頬はどうなのか。鏡の前で試してみたが、半笑いにすらならない。どの筋肉をどう動かしていいかわからない。明らかに右半分より退化している。こんなことでは顔の輪郭がいびつになりはしないか。だがなぜ右側の筋肉は退化を免れているのか。
たしか、大学生の頃R・B・パーカーとかチャンドラーにハマっていた時に、唇の端だけ持ち上げてニヒルに嗤う練習をしたものだが、あれは右側だけできるようになったっけ。あと外人よろしく片眉をくいっと吊り上げる訓練をしたのも右側だ。わかったぞ、左半分の表情筋が退化しているのではなく、右半分だけ無意味に発達してしまったのだ。
そういうわけで、深夜に家族が寝静まった頃をみはからって、左顔面の筋力トレーニングに励んでいる。
こればかりは家族にも見られたくないからだ。
|前口上|最新作|観覧席|喫茶室|案内板|日 記| |
![]() |