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2002年1月 |←次の月|前の月→|最新の日記に↑| |
「メイドって何語だったっけ?」
と、いきなり知人に問われて面食らったのだった。
メイドといえば何やら白い頭飾りをつけて紺のスカートを履き、まめまめしく身の回りの世話を焼いてくれる女性のことであろう。古めかしい日本語で言うなら女中さんだ。
もちろん、メイドがつまりmaidで英語をそのままカタカナ表記したものであることは2秒で判明するのだが、リーダース英和に思いもよらぬ副産物的な収穫があった。
maid
n. 1 お手伝い, 女中, メイド《しばしば複合語に用いられる: bar 〜, house 〜, nurse 〜》.
・参照→LADY'S MAID, 参照→MAID OF HONOR.
2 《文》 娘, 少女 (girl); 《古》 未婚の女, 処女, おとめ; [the M] 参照→MAID OF ORLEANS; 《まれ》 参照→OLD MAID.
[maiden; cf. G Magd]
Maid of Orleans。メイド・オブ・オルレアンと書いて、〈オルレアンの乙女〉を指す。言うまでもないだろうがジャンヌダルクのことである。語源表記にmaiden「処女」由来であることが記されているから納得はできるが、それにしても我々はmaidという単語に対していかに不健全なステロタイプを作り上げてしまったことだろう。
昨年のクリスマスは独りで過ごした。
二千年以上前の大工の息子の誕生日が恋愛関係に及ぼす効能など信じていないので、そのことについて感慨はないが、周囲のお祭りムードに引きずられるようにスパークリングワインを1本買ったのだった。
基本的に独りで飲むのが嫌いなので、そのワインも一杯飲んだら飽きてしまい、冷蔵庫にしまい込んでしまった。
以来1カ月。その瓶はいまだに冷蔵庫の一角を占領していた。
飲む気になれない物をいつまでもしまっておくのも問題だろうが、キャップもしっかり締めて炭酸も抜けてないものを捨ててしまうのも勿体ない。
そんな先日、唐辛子風呂の入れ方を調べた時に、酒風呂なるものが存在するのを知った。風呂の湯に日本酒を1リットルほど入れるとお湯が柔らかくなるのだそうだ。
これをスパークリングワインで代用できはしまいか、と思い立ったのだった。日本酒もワインもアルコールには違いない。日本酒はrice wineとも言うのでワインの親戚のようなものだ。ゆえにワインも風呂に入れて大丈夫だろう。
そう勝手に決めて風呂を沸かし、瓶に残っていたワインを(腰に手を当てて一口飲んでから)湯に注ぎ込む。
瞬間、むわっと立ち上がるアルコール臭。
さ、酒臭い……転がるように風呂場を出て換気扇を全開に。その甲斐あってか、しばらくすると嘘のように匂いが消えた。白ワインなのでお湯に色がつくわけでもないが、漬かるとほんのり葡萄の匂いがする。
ほんわりしたいいお湯だった。……が、次は安い日本酒を使うことにしよう。
スパークリングワイン風呂の教訓
・安酒を使わないともったいない。
・量は最低でも1リットル。
・酒を投入した直後は換気をよくしよう。
・お湯は熱めに。
・入った後は風呂を良く洗おう。
・未成年がいる家庭ではおやめください。
怖いもの見たさで、とある物を買ってしまったのだった。
家に帰って開けてみた。レジに持っていくのもかなり躊躇したが(ましてレジのお姉さんはちょっと可愛い大学生風だった)、開けてみた瞬間に襲いかかる視覚的衝撃と後悔は、買う前の恥じらいを遙かに上回っていた。
予想以上に大変なことになってましたよ旦那と思わず敬体を使ってしまうぐらいのショックだった。
『チャタレイ夫人の恋人』の完全版が発表され、映画に女性のヌードが出てくるのが当たり前になった近代、人は出版物における性的表現に関してかなり寛容になってきており、それはそれで結構なことだと思うが、まさか自分が生きているうちに18禁パソコンゲームのジャンルの一角を「ぼーいずらぶ系」なる男同士の恋愛および性行為を描いた製品が占めることになろうとは思わなんだ。
ましてその手専門のゲーム誌が書店に平積みされる日が来ようとは。その平積みが3日で消滅する日が来ようとは。
カルチャーショックで寝込みそうです、はい。
……それよりこれ、どうやって捨てよう……
確かに駅前には毎日大量の自転車が違法駐輪されており、その中では私の自転車など格段に安物の部類に入るだろう。脚の長い西洋人体型をした今時の若者が乗るには少々格好悪い部類に入るかもしれない。
しかし、自転車の本体を盗まず、あまつさえ空気を抜いてみたりベルを壊してみたりといったありがちな悪戯を仕掛けるでもなく、後輪の荷台に巻いてあった、荷物固定用の紐(105円)だけを盗んでいくというのはどういう了見ですか泥棒の君。
自転車を盗んだり壊されたりするより屈辱に震えた今日の夕暮れだった。
動機はと言えば、特売で買った大瓶入りの入浴剤に飽き飽きしたのだった。
Webで検索してみれば、人は葱だの、生姜だの、柑橘類だの、唐辛子だの、色々なものを風呂に入れるようだ。とりわけ、唐辛子というのが目を引いた。血行が促進されて身体が温まるのだそうだ。私は無類の寒がりなので、冬など暖房をがんがん掛けた上に厚着して毛布を被って仕事している有様である。唐辛子効果がどれほどのものか試してみようじゃないか。
唐辛子はやはり少しでも新鮮なほうが良かろうと、1パック198円也を新しく購入した。後日二度と試さなかったとしても料理に使えばいい。10本ほどハサミで細かく切って、ガーゼの袋を作るなんてもったいないからお茶用の不織布パックに詰め、風呂に投入。湯の中で揉んでみると微妙に周辺の湯の色が変わったような気がする、が、それと判るほどではない。そういえば「手で揉むとひりひりするのでガーゼの端を掴んで振り回しましょう」と参考にしたWebページに書いてあった気がするが済んだことは気にしないことにする。特に手がひりひりしたり赤くなったりする様子はない。
5分経過
普段の風呂とあまり違いが感じられない。10本では少ないのかもしれない。というわけで、さらに10本ぶんの唐辛子を詰めたパックを投入。
今度はしばらくすると猛然と汗が出てきた。これがカプサイシンの効果なんだろうか。風呂の水を飲んでみる……特に辛くは
なかったが猛然と咳が出てきた。
やはり唐辛子20本は伊達ではないようだ。風呂からあがってもポカポカ感はかなり長く続いた。入浴剤並みに効いているようだ。次は40本に挑戦してどの程度辛くなるか試してみよう。
下の日記の曜日が間違っていたのをこっそり直してみたり。
べつに目の前に胸元も露わな服を着た妙齢の美女が現れたときばかりとはかぎらない。どこを見ていればよいのか困惑する状況というものが、日々往々にして発生するのだった。
たとえば満員電車の中だ。体の向きを変えることもままならないすし詰めの車内では、意図せぬものを見続けてしまいがちだ。否応なしに中年の汗ばんだ首筋を見つめさせられ、あまつさえその視線を感じて不快げに振り向かれようものなら、やり場のない腹立ちをどこに向けていいのか判らなくなる。
だいたいなんだ、視線というやつは。視覚というものが、目を通じて入ってきた光を視神経が分析することで成り立つのであれば、見られたという事実を悟れるはずはないんじゃないのか。
それなのに満員電車の座席に座っている人は、しばしば自分が広げている漫画雑誌を他人が覗き込んでいるのに気づいて「なんだこいつ、ひとの漫画をただ読みしやがって」と言わんばかりの眼差しをくれるのだった。違うんだ、なにもあんたの雑誌を見たくて見てるわけじゃないんだ。視線のやりどころに困っていたらたまたまその漫画が目に止まっただけなんだ。読みたければ自分で買うさ。と口に出して弁解すればますます冷たい視線を浴びるような気がして、理不尽な思いを抱えながら、人はしばしば見たくもない吊り広告を何度も読み返したり、立ったまま不安定に目を瞑ったりするのだった。
仕事先にコピー機の営業さんが来てチラシを置いていった。どうやらインクジェットプリンタで刷りだした手製らしい。しかし、お奨め商品のチラシのキャッチコピーが
業界初! 中出しフィニッシャー
となっているのはどうかと思う。
しかもこの一語だけご丁寧に赤字・斜体で強調しているのはどうか。
思わずそのメーカーのサイトで同型製品の商品説明を探してしまったが、こんな言葉はちっとも出てこなかった。ということはこのチラシをパソコンで作った人間が独自の考えで書いたのだろうか。
見る者に鮮烈な第一印象を残したという点ではキャッチコピーとして成功しているのかもしれないが、なんだかなあ。
なんだかなあ。
意味が分からない人はお父さんお母さんに聞くとたぶん怒られます。
再開宣言したばかりなのに早くも1日のブランクが開いたのは、決してサボったわけではなく、日記を書くことが物理的に不可能だったからだ。
新年早々、愛機 G3 350 のキーボードが逝った。
キー入力をまったく受け付けないどころか、数分経つと勝手にパワーキーを押したかのように終了確認ダイアログが出てきたり、IEのブラウザのアドレス欄に「eeeeeeeeee……」と勝手に文字が入力されたりと、『あなたの知らない世界』も真っ青の怪奇現象が続発するのである。
前々から、寿命を思わせる症状は色々と出てはいたのだ。キーボードのUSB端子に接続したマウスが突然効かなくなったり、反対にキー入力を突然受け付けなくなったり、まあ、3年以上もほぼ1日と間をおかず叩かれ続けたのだから、これでどうかならないほうがおかしかろう。
とはいえ、帰省直後で軽くなった財布には大打撃である。スーツを新調しようと思っていたのを泣く泣く諦めて新しいキーボードを買いにいった。ショップを3軒ほど回ってみたが、どれもこれも打鍵音がうるさかったり、キーの配置が純正と違ったりしていまひとつ気に入らない。とはいえ、パソコンもキーボードがなくてはただの箱、パソコン無くして我が商売は成り立たない。仕方なくキータッチが一番静かだったmatheyのキーボードを買ってきて、いまそれで入力している。リターンキーが小さくてうっかり隣のキーと押し間違えてしまいそうなのと、controlとcapsの位置が純正製品と正反対なのが辛い。しかもカナ・英数キーが無いので切り替えに以前より1つ余分にキーを押さねばならない。
ああ、キーが引っかかるだの何だの文句ばっかりいってたけど、やっぱりキミは偉大だったよ、G3純正キーボード。
昼過ぎに東京の自宅に戻ってきた。やはり大阪より寒いのは気のせいではない。大雪で新幹線の遅れを心配していたが、5分遅れただけにとどまる。
だが、東京駅から家までは、行きよりずいぶん長く感じられた。
鼻血のせいではない。昨日から右足の筋をどこか痛めたらしいのだ。転んだとか捻ったとかいう記憶はないのだが、体重をかけると痛むので、スキーで捻挫したかのごとく足をひきずって歩かざるをえない。一難去ってまた一難である。
今年も前途が思いやられる。
元旦にも見たのだが、再放送があったのでまた見てしまった。
NHKで放映している、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート中継である。
毎年、これでラデツキー行進曲を聴かないとどうも正月という気分にならないのだ。それにしても、この番組はひたすら奏者と客席を交互に映し続けるストイックな番組だった気がするのだが、いつからイメージ映像を流すようなサービス精神旺盛な番組になったのか。
ユーロ貨幣を鋳造している様子。スペインの馬術学校で繰り広げられる馬芸。映像のリズムがきちんとバックの曲に合っているところからして、わざわざその曲のために用意された画像なのだ。アンコール曲にまでバレエの群舞の映像が流れるのは念が入っている。ますますこの番組を見逃せなくなってしまった。
鼻水を垂らしながら芸をする馬など、なかなか見られるものではない。来年も馬術学校の映像を使ってくれるだろうか。
この正月に帰省したのは、両親に東京でした仕事の成果を見せたかったのはもちろんのことだが、もう一つ――コントラバスが弾きたかったのだ。
神戸でクインテットを組んでいた頃は大学の楽器を借り受けて使っていたので、私には自己所有の楽器というものがない。東京に出てからはコンスタントに練習に出るどころか、本番のコンサートだって土壇場で欠席するかもしれないという状況だったので、団体に所属するのを見送っていた。
正月2日に、大学に来て楽器の練習をしようなどという物好きな室内楽団員もおるまい、ということで、初詣ついでに久々に部室に行ってガシガシと弾いた。
さすがに、楽器から長く離れていた上に、日頃の不摂生が祟って筋力が確実に落ちており、ハイポジションが当たらないわ、音の歯切れは悪いわ、と、人がいない時でつくづくよかったと思える腕のなまりっぷりである。
コントラバスを弾くのは力仕事だ。弾いていればだいたい身体が暖まってくるのだが――さすがに、腱鞘炎気味の左腕をだましだまし弾いていたのでは運動量は著しく落ちる。しかも、この日は部室会館は停電していたため、ストーブも使えない。おまけに、1時間も弾いた頃には雪がちらつきだした。
指が冷えて動かなくなってきたので、さすがに諦めて帰ることにし、カイロ代わりに熱い缶コーヒーでも買おうと自販機の前に立ったその時。
大阪発 みっくちゅじゅーちゅ 喫茶店の味
妙に下手くそな筆文字でそう書かれた缶ジュースが目に入ってしまった。
生粋の関西人である私だが、大阪の喫茶店のメニューに「みっくちゅじゅーちゅ」なるものを見かけたことは一度もない。
買うべきか、買わざるべきか。
自販機の前で私は苦悩した。1000円札が使えないので、いま財布にある小銭では1本しかジュースが買えない。珍しいもの好きな私としては、あからさまに地方限定製品っぽい「みっくちゅじゅーちゅ」をぜひとも購入したいところだが、粉雪混じりの寒風が吹きすさぶ中、冷たい缶ジュースを持って帰るのはかなり苦痛だ。だいたい、私は指を暖めるために温かい缶を買おうとしていたのではなかったか。
しかし、帰省中に大学をもう一度訪れることはできない。
面白さをとるか、快適さをとるか。
ハムレットのように悩んだ結果、私が結局選んだのは――
言うまでもなく、指が切れそうなほど冷たい「みっくちゅじゅーちゅ」だった。
あけましておめでとうございます。夏に体調を崩してから更新意欲を無くしたまま年を越してしまいましたが、新年からぼつぼつと復帰しようと思ってます。毎日覗いてくれる人がいるのはありがたいことです。
大晦日から三が日にかけて、実家に帰省したのだった。
帰省。おお、なんと甘美なる響き。
学生時代を自宅通学で通し、田舎が遠くてめったに親戚を訪ねられない私にとって、生まれてこのかたウン十年、帰省とは自分とまったく無縁の言葉だったのである。
そういうわけで、本をぎっちり詰め込んで無闇と重い鞄を提げて、私はおよそ9カ月ぶりに大阪の駅に降り立った。
皆が関西弁を喋っている。当たり前だが。
エスカレーターで人々が左側を追い越していく。東京の右側追い越しにすっかり感覚が慣れてしまっている自分に気づく。
新聞のテレビ面に関西テレビの欄がある。
ああ、関西だ、関西だ。
だが、ほんの数ヶ月離れていただけなのに、帰ってきた故郷は慣れ親しんだものばかりではなかった。
各駅停車しか停まらなかったはずの乗り換え駅に、急行が停まるようになっていた。
駅前のスーパーが潰れて薬局になっていた。
見たこともないバス停がある。
そして実家の、かつて私のものだった部屋は……見る影もなく模様替えされて、見たこともないほど片づいていた。
帰省ラッシュをくぐりぬけて家にたどり着き……洗面所に立った瞬間、鼻孔の奥に生ぬるい感覚が広がる。
危ない、と思った次の瞬間、洗面所は真っ赤に染まっていた。
一年の最後を鼻血で締めくくるのか私は。
洗面所に手を付いた姿勢から動けないまま、私は、今日この瞬間に実家にいて(他に人がいて)よかった、と自分の幸運を噛みしめていた。
実家にはパソコンがないので、珍しくのんびりと紅白だの行く年来る年だのを見て年越そばを啜る、平和な大晦日を過ごした翌朝――
新年である。新しい365日のサイクルの始まりである。朝の遅い私にしては珍しくすっきりと目も覚めた。まずは着替えて顔を洗って両親に挨拶して屠蘇を酌み交わすというのが正月の基本である。
と、洗面所に立った途端――
またしても鼻から大流血したのだった。
1年の計は元旦にありというが、1年の最初の朝を血まみれで迎えるというのはいかがなものか。
ティッシュの箱に手を伸ばすも届かず、白い陶器に赤く滴る鮮血の海を、なすすべもなく眺めながら――
色だけはなんとなくおめでたいな、と、そんなことをのんきに考えた。
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